何でこんなに気を遣わなきゃいけないんだ。
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
ケンカかどうかもわからない、背中合わせの無言。たぶんあたしが今朝言った、いらいらした一言を怒っているのだろうけれど、言った責任は果たしたし、そんな無言を受ける覚えはない。もとはといえば、あたしにも積み重なった其れ此があって、その上での小さな嫌みであり、(というか最初に嫌みを言ったのは夫だ)こっちだってせーり前っていうハンディがあるんだから、文句があるなら言えばいい。そうしたらあたしだって言えるんだから。
今日、本当に初めて、なんであたしがすりあわせていかねばならんのだと思った。彼なりの気の遣い方、優しさ、あたたかさを、なぜくみ取らねばならん。たまにはわかりやすく示すくらいの行動があってもよいではないか。ずっと、あたしとできないことに負い目があるのではないかと気を遣ってきたわけだが、もちろんそこには自分がこれ以上傷つきたくないという自己保身もあるわけだけれども、あたしだって十分傷ついているのだよ。あと1年で30になるわけで、焦りだってあるし、まわりからの追い立てもあるし、でもそれはあたし一人の責任じゃあるまい。二人の問題でしょう。なのに、2次元に逃げてる夫になぜ気を遣ってあげねばならないのだ。言っておくがこの3年間(いや4年5年の単位でか)、この問題に関して、夫はあたしに責があると言ったことはあっても、一度だって自分が悪いなどと認めたこともあたしを気遣ったこともない。あたしだって困っているのだと言うことに理解は示しても、彼が思い悩んだりあたしを気遣ったり二人の問題としてじっくり話し合ったりできたことはないのだ。第一、夫から言い出したことなんて一度だってない。あたしの切り出した話に嫌々つきあうというところから、あたしの切り出した話に嫌がらずにつきあうというところまで成長?しただけなのだ。それを成長と認めてあげているあたしはなんとオヒトヨシなのだろう。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
あたしの20代を無駄に見過ごしたのは彼の方だ。それを魅力がどうこうなんて言われたってどうにもできない。言っちゃあ悪いがあたしはスタイルだって悪くなかったし、下手でもなかった。そんなぴちぴちの(死語だ)20代を見過ごしたのは夫なのだから、今ぷよぷよしているなんて、ましてやそのせいでできないなんて言ってほしくない。(まあそんな直接的に言ったわけではないが)−別にあたしが20代を無駄にしたというわけではない。あたしは一生懸命だったし、自分を保つこともできていたから。
一緒に暮らすことに、つまり結婚することにしたあたしの決断を間違っていたとは、どうしてもいえない。あそこで断ったらあたしは一生引きずって、きっと今でも不毛な気持ちにさいなまれていただろう。夫を愛していないわけでもない。けれども、性の不一致ということは、夫婦にとってはとても大切な事柄であるのにもかかわらず、未だにこうして通じない気持ちにさいなまれているわけだから、この結婚が正しかったかというとそうだとは言い切れなくても仕方のない気がする。そしてそれにおいて、夫の努力が足りないと、あたしが考えることも、今までさんざん語ったり考えたりした中から言って、やはり仕方がないと思わざるを得ない。結婚に一生がかかっているとは実は思っていないけれども、子どもをもてるかどうかは一生がかかっている。焦るのだって仕方あるまい。
けれどもあたしは弱虫なので、今日は話しかけずに眠ることにする。彼はもうクリアした信長の野望をもう一度トライすることに夢中なので、この長文を打っている間もちらりとも後ろを振り向かない。そんな夫だからこそあたしはここの更新もできるわけだけれども、やっぱりどうかと思うわけだ。
ああ馬鹿馬鹿しい。これ以上の言葉は今は出ない。362/365日のあきらめと憂鬱は、それくらい重いのだ。
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
ケンカかどうかもわからない、背中合わせの無言。たぶんあたしが今朝言った、いらいらした一言を怒っているのだろうけれど、言った責任は果たしたし、そんな無言を受ける覚えはない。もとはといえば、あたしにも積み重なった其れ此があって、その上での小さな嫌みであり、(というか最初に嫌みを言ったのは夫だ)こっちだってせーり前っていうハンディがあるんだから、文句があるなら言えばいい。そうしたらあたしだって言えるんだから。
今日、本当に初めて、なんであたしがすりあわせていかねばならんのだと思った。彼なりの気の遣い方、優しさ、あたたかさを、なぜくみ取らねばならん。たまにはわかりやすく示すくらいの行動があってもよいではないか。ずっと、あたしとできないことに負い目があるのではないかと気を遣ってきたわけだが、もちろんそこには自分がこれ以上傷つきたくないという自己保身もあるわけだけれども、あたしだって十分傷ついているのだよ。あと1年で30になるわけで、焦りだってあるし、まわりからの追い立てもあるし、でもそれはあたし一人の責任じゃあるまい。二人の問題でしょう。なのに、2次元に逃げてる夫になぜ気を遣ってあげねばならないのだ。言っておくがこの3年間(いや4年5年の単位でか)、この問題に関して、夫はあたしに責があると言ったことはあっても、一度だって自分が悪いなどと認めたこともあたしを気遣ったこともない。あたしだって困っているのだと言うことに理解は示しても、彼が思い悩んだりあたしを気遣ったり二人の問題としてじっくり話し合ったりできたことはないのだ。第一、夫から言い出したことなんて一度だってない。あたしの切り出した話に嫌々つきあうというところから、あたしの切り出した話に嫌がらずにつきあうというところまで成長?しただけなのだ。それを成長と認めてあげているあたしはなんとオヒトヨシなのだろう。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
あたしの20代を無駄に見過ごしたのは彼の方だ。それを魅力がどうこうなんて言われたってどうにもできない。言っちゃあ悪いがあたしはスタイルだって悪くなかったし、下手でもなかった。そんなぴちぴちの(死語だ)20代を見過ごしたのは夫なのだから、今ぷよぷよしているなんて、ましてやそのせいでできないなんて言ってほしくない。(まあそんな直接的に言ったわけではないが)−別にあたしが20代を無駄にしたというわけではない。あたしは一生懸命だったし、自分を保つこともできていたから。
一緒に暮らすことに、つまり結婚することにしたあたしの決断を間違っていたとは、どうしてもいえない。あそこで断ったらあたしは一生引きずって、きっと今でも不毛な気持ちにさいなまれていただろう。夫を愛していないわけでもない。けれども、性の不一致ということは、夫婦にとってはとても大切な事柄であるのにもかかわらず、未だにこうして通じない気持ちにさいなまれているわけだから、この結婚が正しかったかというとそうだとは言い切れなくても仕方のない気がする。そしてそれにおいて、夫の努力が足りないと、あたしが考えることも、今までさんざん語ったり考えたりした中から言って、やはり仕方がないと思わざるを得ない。結婚に一生がかかっているとは実は思っていないけれども、子どもをもてるかどうかは一生がかかっている。焦るのだって仕方あるまい。
けれどもあたしは弱虫なので、今日は話しかけずに眠ることにする。彼はもうクリアした信長の野望をもう一度トライすることに夢中なので、この長文を打っている間もちらりとも後ろを振り向かない。そんな夫だからこそあたしはここの更新もできるわけだけれども、やっぱりどうかと思うわけだ。
ああ馬鹿馬鹿しい。これ以上の言葉は今は出ない。362/365日のあきらめと憂鬱は、それくらい重いのだ。
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