満足

2005年9月7日
本当に、仕事に於いて遅れをとっていて、
だから、些細なことに見いだしてる。

良い授業が、1時間でもできた、とか、
子どもが楽しそうに笑ってくれる話ができた、とか、
「あー先生!」って、手を振ってくれた、とか、
そんな。

普段だったら、
あとの4時間なにしてたんだろう、とか、
子どもがいつでもそんな風に笑ってくれなきゃ意味ない、とか、
子どもにとって担任は絶対なんだから、当たり前、とか、
思ってしまうけど、
そうやっていると、辛くなるだけで、
子どもたちにだって良い影響はないもの。
表情をみてるし、感じ取っているから。

自分自身のことに関しては、
大好きな歌声を聴いて満足、とか、
おいしい紅茶を飲んでほっとする、とか、
おいしいご飯で幸せ、とか、
ほんと、そんな。

本来なら、夫においしいご飯を作ってあげなきゃ、
主婦失格なんだろうけれど、
洗濯ものもちゃんとたたんであげなきゃいけないんだろうし、
そうじだって毎日するもんなんだろうけれど、
でも、無理をして、嫌な想いをするのは夫だ、と思って、
適当にすませられることはすませて、
自分の時間を作って、
ちょっと、心をほぐす。
 これは、夫の協力に依って成り立つのだけれど、
 幸い細かくない人だし、なんとか。

 
探さない。
受け入れる。
認める。

できないことは、できない。
できることは、する。

自分の内側に、満足できる何かを求めると、
きっと、見つからないと思う。
だってそれは、他人に認めてもらわなくっちゃ、
きっと満足できない。
でもそれは、本当に、苦しいことだ。
他人に認めてもらうのは、本当にうれしいことだけれど。

頑張った、ことだけでは、
周りに認めてもらうのは難しい。
認めてくれ、と主張すれば、
それで満足して成長しない人、とみられるだろうし、
事実そうかもしれないけど。
けれど、頑張った事実は、
自分で認めてもいいんじゃないか。
結果が出なければ、
自分が頑張った気持ちすらも、ダメなものだろうか。

人にいわなけりゃ、いいじゃない。
甘いと切り捨てるだろうか。

甘くて結構!
できないもんはできない。
できるようになりたいと願うから、
学ぶけれど、
今はできない!

と、認めていかないと、生きていかれない、わたしは。

 

 

 
 

 
むつかしい。
でも、楽しくなければ生きている意味がない、という言葉を、
わたしは大切にしたい。
苦労の向こうには、楽しいことがなくっちゃね。
 

 
 

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