こども
2005年5月29日 あまりにも疲れた疲れたの思いすぎて、自分でも嫌になってきた。気持ちが疲れているのでどうにもならない。今は身体よりも気持ちの方が厄介だ。
夫の3次会に呼び出され、夫の同僚と話して、彼が楽しそうだったのでわたしも楽しくなった。大学当時の友人が夫の同僚になったので、一緒に飲む(車で行ったためジンジャーエールだったけれど)のも楽しかった。車で皆を送り届けて、気分の良い夫を隣に乗せた深夜ドライブもなんとなくよかった。こういうのがいい。穏やかで楽しくて、切羽詰まっていないのが。
本来は今日宿泊学習のお手伝いにいくはずだったのだが、昨日の時点であまりにも心が切羽詰まっていたのでキャンセルした。こういうのはきっと甘いんだろうけれど、若手だから日曜出勤で三浦半島まで行くのも当たり前なんだろうけれど、わたしにはそうは思えないしそれどころじゃなく胸が苦しい。ここで頑張るのが若者の良さなのか、人間としての頑張りなのか、社会人としての自覚なのかもしれないが、自分を絞り仕事をすることができなくなってしまった。楽しく仕事をしたいというのは贅沢なんだろうか。職場に行くと息が詰まって苦しい。でもわたしはどの職場に行っても同じかもしれない。人の目を気にして、その割に頑張れなくて、人を信じられなくて、うち解けられない。「酔っている由比さんの方がいい」と以前の同僚に言われた言葉を思い出す。
いつになってもこんな日記から抜け出せないのは自分を好きになれないからだ。多分そうだ。でもそれすらも甘えなのかもしれない。そうやって自分が甘いと宣言することでまた予防線を張っているのかもしれない。切りのない螺旋。抜け出せない。誰かにどう思われるかを気にしないでぶちまけられたら多少楽になるのだろうけれど、そんな相手は居ない。両親にだって心配かけられないし、夫にはこれ以上の負担をかけたくない。友達だってそこまで面倒見切れない。話すと重みが相手にも掛かってしまう気がするのだ。負の感情は伝染する。
夫の父親もいろいろあるらしく、酔って昨日ぽろりとこぼした。夫の両親の事情を知らない同僚は言葉を失っていたし言葉を挟むこともしなかったけれど、そのことを一人で抱えていた彼は何故わたしに今まで言わなかったのだろうと思った。わたしに言うことではないと思ったのだろうか。それとも。
人間いろいろある。こどものように暫くは自己防衛に生きようと思う。
夫の3次会に呼び出され、夫の同僚と話して、彼が楽しそうだったのでわたしも楽しくなった。大学当時の友人が夫の同僚になったので、一緒に飲む(車で行ったためジンジャーエールだったけれど)のも楽しかった。車で皆を送り届けて、気分の良い夫を隣に乗せた深夜ドライブもなんとなくよかった。こういうのがいい。穏やかで楽しくて、切羽詰まっていないのが。
本来は今日宿泊学習のお手伝いにいくはずだったのだが、昨日の時点であまりにも心が切羽詰まっていたのでキャンセルした。こういうのはきっと甘いんだろうけれど、若手だから日曜出勤で三浦半島まで行くのも当たり前なんだろうけれど、わたしにはそうは思えないしそれどころじゃなく胸が苦しい。ここで頑張るのが若者の良さなのか、人間としての頑張りなのか、社会人としての自覚なのかもしれないが、自分を絞り仕事をすることができなくなってしまった。楽しく仕事をしたいというのは贅沢なんだろうか。職場に行くと息が詰まって苦しい。でもわたしはどの職場に行っても同じかもしれない。人の目を気にして、その割に頑張れなくて、人を信じられなくて、うち解けられない。「酔っている由比さんの方がいい」と以前の同僚に言われた言葉を思い出す。
いつになってもこんな日記から抜け出せないのは自分を好きになれないからだ。多分そうだ。でもそれすらも甘えなのかもしれない。そうやって自分が甘いと宣言することでまた予防線を張っているのかもしれない。切りのない螺旋。抜け出せない。誰かにどう思われるかを気にしないでぶちまけられたら多少楽になるのだろうけれど、そんな相手は居ない。両親にだって心配かけられないし、夫にはこれ以上の負担をかけたくない。友達だってそこまで面倒見切れない。話すと重みが相手にも掛かってしまう気がするのだ。負の感情は伝染する。
夫の父親もいろいろあるらしく、酔って昨日ぽろりとこぼした。夫の両親の事情を知らない同僚は言葉を失っていたし言葉を挟むこともしなかったけれど、そのことを一人で抱えていた彼は何故わたしに今まで言わなかったのだろうと思った。わたしに言うことではないと思ったのだろうか。それとも。
人間いろいろある。こどものように暫くは自己防衛に生きようと思う。
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